宇都宮城主本多正純は、二代将軍秀忠の後継者に「家光の弟忠長を」と考えていたが、兄の家光が将軍になってしまった。
そのことを不満に思った本多正純。
寛永13年4月(1636年)、家康公七回忌の日光社参のため、三代将軍家光が宇都宮城に泊まるのを狙い、からくり仕掛けの天井で暗殺を企てた。ところが、その情報がもれてしまい、計画は失敗。三代将軍家光は難を逃れたという。
○ここが違う!宇都宮釣天井事件
・家康公七回忌は元和8年(1622年)。
・日光社参したのは二代将軍秀忠。
・本多正純が宇都宮城主であったのは、1619年〜1622年。
・本多正純は、寛永14年(1637年)に秋田県横手市で生涯を閉じる。
元和8年(1622年)の日光社参の帰り道、二代将軍秀忠が宇都宮城に泊まるのを急に取りやめたこと、その後、正純が宇都宮城を取り上げられたことは本当にあったことで、「宇都宮釣天井事件」は、そのことから生まれたのかも知れません。 |